しの竹細工とは

しの竹細工とは

古都の自然が育んだしの竹を
丁寧な手技で編み上げた温もりのある作品

伊達政宗が仙台藩初代藩主となる前に城を構えていた古都・岩出山。しの竹細工は、享保年間(1720年頃)に岩出山城主(四代・伊達村泰)が京都から職人を呼び、藩士の手仕事として奨励したのが始まりとされている。その後、地元の人々の農閑期の内職として定着し、およそ300年に渡って受け継がれ、岩出山を代表する工芸品として知られるようになった。家庭の中で手から手へ伝わってきた技を守るため、昭和23(1948)年に竹細工の指導所が設けられ、現在は「竹工芸館」を拠点として地域による後継者の育成が行われている。
「竹工芸館」で指導を受けて技法を学び、竹細工の制作を行っているつくり手は15名程度。材料となるしの竹は、地元に自生しているものを、それぞれが自ら調達しており、毎年12月の、それも雪の降り積もる前までに次の1年分をまとめて採取しておかなければならないという。竹を縦4つに割り丁寧に皮を剥ぎとって作った“へげ”(ヒゴ)で、手間をかけ緻密に編み上げられた竹細工は、丈夫で見た目にも美しい。同じところをヨコに交互に編む岩出山ならではの“ざる編み”など、用途にあわせて3つの編み技法が継承されてきた。
しの竹細工のなかでも人気の“米とぎざる”は、つるっとした竹の表面がザルの内側になるように編まれているので、指先にやさしく、スムーズにお米を洗うことができる。そして水切れもいいと評判だ。

【取材協力】

大崎市 竹工芸館

住所:
宮城県大崎市岩出山字二ノ構115
電話:
0229-73-1850
開館時間:9:00 ~ 17:00
休館日:毎週水曜日、年末年始