雄勝石に関わる産業の継承を目指して
2011年の東日本大震災の津波で大きな被害を受けた雄勝町。雄勝硯の職人たちは家や工房を流され、採石場への道が寸断されたため原料の調達もできなくなってしまいました。それでも職人や事業者による雄勝硯生産販売協同組合は、硯をはじめとした雄勝石に関わる産業の復興と継承をめざして再起。2014年6月に新しく仮設工房が完成し、避難のため近隣各地に離散した硯職人たちが共同で作業できる場が誕生しました。現在は組合で管理する明神地区の採石場に新たに重機が導入され、採石も再開されているといいます。
組合員の樋口昭一さんは、仮設工房で仕事をしている硯職人の一人。住まいのある仙台市から雄勝町に通いながら硯をつくり続けています。樋口さんのお父さんも山梨県から雄勝町に移り住んだ硯職人。その後を継いで、「25才から硯をつくりはじめた」のだそうです。硯づくりでは“彫り”の後に“磨き”をほどこしますが、「“磨き”が足りないと仕上げた後で目立つ」といい、一つひとつの工程で「丁寧な手作業が求められる」と話します。「天然石だから、せっかく彫り進めてもキズが出てきたりすることもある」そうで、石の中にキズなどがあると、ノミで彫る時の「音で分かる」というから流石です。
組合員として10人ほどいたという硯職人ですが、震災後も仕事を続けているのは4〜5人とのこと。樋口さんのように他の地域から通っている人も多く、そうした職人たちによって雄勝硯の伝統を守り継ぐ努力が続けられています。
雄勝硯生産販売協同組合
宮城県石巻市雄勝町雄勝伊勢畑84-1
TEL 0225-57-2632
雄勝硯生産販売協同組合の製品
一つひとつ石にこだわり納得のいく硯を
遠藤弘行さんは、現在も雄勝町にとどまって仕事をつづける硯職人。組合には入らず、独自に硯を製作・直接販売しています。手しごとならではの個性的な彫刻がほどこされているのが、遠藤さんのつくる硯の特徴。その巧みな技は遠藤さんがお父さんから受け継いだものだといいます。
遠藤さんの家は代々、雄勝石の採石販売を家業としていて、父・盛行さんが3代目でした。しかし、雄勝町で学童用硯が量産されていた昭和30年〜40年代には、硯職人の仕事がはかどる柔らかい石ばかりが求められ、硯に適した良質で硬い石は受け入れられなかったそうです。そうしたなかで、盛行さんは自ら硯職人となることを決意。50代から独学で製法を確立していったといいます。「良い石を求める職人が当時いなかった、と父は言っていましたから、自分でやるしかないと思ったのでしょう」(遠藤さん)。
遠藤さん自身は広告会社勤務を経て、25才からお父さんのもとで「目で見てぬすんで」技を身につけました。石へのこだわりも父ゆずりで、「硯石はある程度硬くなくてはだめ」といい、一般的な雄勝石よりも「手で彫ると数倍は硬い」けれど「墨が吸い付くようにすべる」という波板地区の石を使っています。
徹底して石にこだわり、一つひとつ手間ひまをかけて硯をつくり続けて38年。「今後はもっと自由に、自分が本当につくりたいものを追究して形にしていきたい」と語る遠藤さんの硯づくりは、さらに円熟の域へと向かうことでしょう。
エンドーすずり館
宮城県石巻市雄勝町雄勝字船戸神明29-1
TEL 080-1823-5433