鳴子漆器とは
東北有数の温泉郷・鳴子で育まれた
350年を超える伝統を受け継ぐ漆器
鳴子漆器のはじまりは、江戸時代・寛永年間(1624〜1643年)と伝えられる。当時の岩出山城主・伊達敏親氏が、塗師と蒔絵師を修行のため京都に送って技を持ち帰らせ、漆器づくりを振興したことから発展したとされている。江戸時代後期に庶民のあいだで温泉湯治がさかんになると、鳴子漆器は近郷からの湯治客によって安定した市場を獲得していった。明治にはそれまでの二人挽きから一人挽き足踏みろくろに変わり、製品の種類も豊富になって、明治40年代に鳴子漆器は最盛を誇ったという。また、鳴子出身で東京美術学校(現・東京藝術大学)に学んだ漆工芸研究家・澤口悟一(ごいち)が、昭和26年に「龍文塗」を考案。それまでになかった美しいマーブル模様の変わり塗りを創出し、地元漆器業の発展に貢献した。
使い込むほどに透明感が増して飴色に輝く「木地呂(きじろ)塗」、木目の美しさを生かした「拭き漆」などの代表的技法で知られる鳴子漆器。安価なプラスチック製品の台頭にさらされながらも長きに渡って優れた技が受け継がれ、平成3(1991)年に国の伝統的工芸品として指定を受けた。今なお数人の職人たちが伝統を守りながら新しい挑戦を続け、実用的で堅牢な漆器づくりを行っている。
【取材協力】