古くから東北で子どもの手遊び人形として親しまれてきたこけし。大正時代には大量生産のおもちゃにおされて一時衰退しましたが、昭和3(1928)年の日本初のこけし専門書『こけし這子(ほうこ)の話』(天江富弥著)の発行をきっかけに、新たに収集家の関心を集めてブームとなり現在に至ります。
“こけし”という呼び名の由来について、音楽家・こけし研究家の高橋五郎さんは次のように話します。
「こけしの語源のひとつは“こふけし”という鳴子周辺での呼び名で、江戸時代の『高橋長蔵文書』にも出て来ます。こけしには地域によって、きぼこ・でくなど様々な呼び名があったため、研究家や工人たちが議論の末、昭和15(1940)年に“こけし”に統一したのです」。
こけしが作られるようになった経緯について、五郎さんは「水引手」と呼ばれる、こけしの頭に描かれる模様に着目しています。
「京都の御所人形のお祝い用の人形の頭に、髪を結ぶ水引の模様として描かれたのが水引手。それが伏見人形を経て、堤人形の“けし人形”や仙台張子の“おぼこ”、さらにこけしにも受け継がれたのです。文献には縁日でこけしが売られていたともあり、こけしは子どもの健やかな成長や子宝を授かる願いを込めた縁起物だったとも言えます」。
明確な根拠に基づく五郎さんのお話しに、こけしの歴史について改めて認識。こけしは頭におめでたい模様が描かれた、時代を越えて愛され続ける縁起物と言えるでしょう。
こけしは、子どもの木地玩具として作られたことは明らかで、顔の描き方などには堤人形の影響もあると思いますね。こけしの顔は、人と同じでかわいいだけでは飽きられてしまうので(笑)、私はきりっとして利発そうな顔をイメージしながら描いているんですよ。
こけしの製作は、原木から製材をし、ろくろにかけて仕上げていく、すべて手作業でなければできない大変な仕事。手間ひまをかけて作られる伝統こけしの良さを多くの人に知ってほしいですね。それには工人自身が仕事を楽しみ、これからはもっと主体的に、こけしが生まれた東北の風土や、育まれてきた世界観を表現していけるようになると良いと思っています。