仙台御筆とは

ひとりの職人が一貫した手作業でつくり上げる仙台ならではの毛筆

ひとりの職人が一貫した手作業で
つくり上げる仙台ならではの毛筆

仙台御筆は、伊達政宗公が京都から筆師を呼んで下級藩士に筆づくりを習わせたのが始まりとされ、慶長19(1614)年には大阪より小村又兵衛が御用筆師として召し抱えられ製筆・筆師育成につとめたと伝わる。その後、鉄砲足軽300人が居住したことからその名がついた三百人町や連坊小路(仙台市若林区)を中心に筆づくりが盛んになり、丹念につくり上げられた仙台御筆の評判は江戸や大阪・京都へと広がっていった。仙台・宮城にゆかりの宮城野萩を軸とする“萩筆”をはじめ、明治以降にはハギ・マツ・ススキ・ヨシ・タデを軸とした5本1組の“五色筆”なども人気を博したという。「御筆」という言葉は、昭和に入って天皇に筆を献上する際に用いられたとされ、それ以降、仙台でつくられた筆が「仙台御筆」と呼ばれるようになったとみられる。
その工程において、ほかの産地のように分業するのではなく、ひとりの職人が一貫してすべての作業を担い完成させるのが仙台御筆ならでは。良質の原毛を使い高度な技術で丁寧につくり上げられ、弾力があって墨持ちがよく、丈夫で長年にわたって愛用できるのが特徴だ。昭和初期には100軒ほどの工房があったというが、現在では「大友毛筆店」1軒を残すのみとなった。明治8(1875)年の創業時と同じ三百人町で、ただ一人となった筆師が伝統の技を守り、筆づくりを続けている。

【取材協力】

大友毛筆店

住所:
宮城県仙台市若林区三百人町112
電話:
022−256−5420