人間国宝となった初代・千葉あやのさんが、ひとすじに伝えてきた正藍冷染。

初夏に工房を訪ねると、軒先には爽やかな青に染まった布がたなびいています。この素朴で美しい藍染めを手がけているのは千葉まつ江さん。現在は姪の京子さんとともに、藍と向き合う日々を送っています。
10代で千葉家に嫁ぎ、義祖母あやのさんの仕事を見てきたまつ江さん。「最初はあんまり興味もなくって(笑)はたから見て、大変な仕事だなぁて思っていたくらい」。しかし昭和30(1955)年、あやのさんが人間国宝になった頃からその生活は一転。注文が殺到したため、まつ江さんも藍染めを手伝うように。「『まずは染めてみろ』っておばあさんに言われて染めたのが最初。はじめは上手に染められなくてね。でも少しずつできるようになって、染めることが楽しくなっていきました」。本格的に藍染めを始めたのは50歳から。そこから30余年、義祖母、義母の教えを守り、仕事を続けてきました。「この仕事はお天気や気温に左右されて、毎年違うから、もうこれで覚えたってことはないの。毎回お勉強」。そう謙虚に語るのは、藍染め存続の危機に直面した経験があるからこそ。

平成20(2008)年に発生した岩手・宮城内陸地震の際、千葉家の前を流れる川の上流にあるダム湖に大量の土砂が流入。しばらく川が濁り、染めた反物を洗うことができなくなってしまいました。さらには近所で炭焼きをしていた方の窯が倒壊。藍建ての時に必要な楢の木灰の素となる炭の供給も途絶えることに。「炭焼きの人は『まつ江さんが続けている間は頑張っから』って言ってくれてたんだけどね。こればっかりはしょうがない」。ですがまつ江さんはあきらめませんでした。「地震のあといい色が出なくなってしまって…でも『お客さんがいなくとも、お金にならなくとも、藍染めは続けるように』って、おばあさんに言われてたから、なんとしても辞められなかった」とまつ江さん。“地震から2年経ってようやく“これなら”と思える色が出るようになったそう。決してあきらめず、尽力するまつ江さんの姿を見て、地震のあとからは姪である京子さんが藍染の仕事を手伝うように。「手間がかかり、肉体的にも大変な作業が多い。よくやってきたなって改めて尊敬しています」。周囲の後押しもあって、後継者の道を歩みはじめた京子さんは自身の感性を生かし、染布を使った新しい製品作りにもチャレンジしています。「こういうものを作ろうと思うんだけどっておばちゃんに聞くと、『いいよ、やってみたら』って。すごく柔軟なんです」。そんな京子さんを信頼し「京子ちゃんが一生懸命頑張ってくれるから、本当に助かってるの」と微笑むまつ江さん。

“藍神さまから授かったこの仕事藍染、苦労な仕事ですがわたしにとっては一番楽しい仕事であります”そう言って、藍染ひとすじに生きた初代あやのさんが大切につないできた藍のバトンはこれからも続いていきます。

<1>盛夏、刈り取った藍の葉を摘み、揉んで乾燥させる作業 <2>正藍冷染の継承者であるまつ江さんと京子さん <3>藍の刈り取りや藍もみ、藍玉づくりなどの作業には昔から近所の女性たちが手伝いに来てくれている

<1>千葉家で育てているのは北方型タデ科の縮藍と呼ばれる品種 <2>家の前を流れる二迫川。藍で染め上げた布はこの川で流れにまかせながら洗いにかける
<3>積み上げられた藍から丁寧に葉だけを摘み取っていく地道な作業 <4>普段は柔和なまつ江さんも染めの時には一転、職人の表情に

正藍冷染を継承する千葉家の女性たちを、影で力強く支える女性がいます。そのひとりが美術工芸史家の濱田淑子さん。「はじめて千葉家を訪ねたのは1998年頃のこと。話には聞いていましたが、藍染がここまで原始的な技法で継承されていることに、本当に驚きました。私が訪ねた時は既にあやのさんもお亡くなりになり、その跡を継いでいたよしのさんも高齢だったため、そのほとんどの仕事はまつ江さんが担っていました」。そこから始まった千葉家との関係は、仙台市内での展示・販売会の開催、型染で使用する型紙の修理・彫り直し、機(はた)の修理の橋渡し役など公私にわたって続いています。また、くりはらツーリズムネットワークが推進し2013年度から始動した、一般の人が参加して藍刈り取りや葉の摘み取りなどの作業の一助を行い、貴重な文化を学ぶ“藍の手プロジェクト”の監修も。「今までは千葉家だけで行われてきた作業を、一般の方にも参加してもらうことに対してまつ江さんは正直、少し不安に思っていた部分もあったようですが、『皆さんに手伝ってもらえてすごく助かった』と言っていただけて安心しました。参加された方もまつ江さんたちと一緒に作業でき、正藍冷染について深く知ることができたと喜んでいただけたようです」。藍染はもとより、まじめでおだやかな人柄に惹かれ、自らを「まつ江さんのファン」と公言している濱田さん。「その年その年の美しい藍の色が楽しみなのはもちろんなんですが、まつ江さんの元気な姿、やさしい笑顔を見続けていきたいと思っています」。

東北福祉大学 芹沢銈介美術工芸館参与 美術工芸史家 濱田淑子さん

東北大学大学院文学研究科(美術史学)修了後、東北大学文学部助手、宮城教育大学・宮城学院女子大学の非常勤講師などを経て現在。仙台市史や青森県史などの編さんに携わり、宮城のみならず東北の工芸に幅広い見識をもつ。