柳生和紙とは
仙台唯一の手漉き和紙
地域とともに守り、つなぐ伝統
柳生和紙の起こりはさかのぼること400年以上前。慶長年間(1596〜1615年)仙台藩祖・伊達政宗が福島県茂庭村(現福島市)から4人の職人を呼び、和紙づくりの指導に当たらせ、始まったとされている。豊かな地下水、山から吹き降ろす“からっ風”という手漉き和紙作りにかかせない条件が揃っていたため、かつてはこの一帯が和紙の大産地だった。
柳生和紙の名を有名にしたのはこんにゃく粉を溶いた液を塗った和紙を、消石灰で煮て、洗う、揉む、干すという工程を繰り返すことでできる「強製紙」の存在。水や汚れに強く、摩擦があっても和紙特有の毛羽立ちが出ないことから、民藝の父・柳宗悦に見出され、氏の私版本『工芸文化』や『美の模様』などの装丁にも使用された。
明治から大正期が和紙作りの全盛期で、紙漉き農家は近隣を含め、400戸以上あったことも。しかし、大量生産、安価に購入できる洋紙の波に押され、需要が低くなり、紙漉きを行う農家は昭和30年台には10戸、今では「柳生和紙工房」佐藤さん1軒のみとなった。
現在はハガキや書道用紙、ラッピング紙の生産が主。また、近隣の小中学校の卒業証書に柳生和紙が用いられているほか、近年では和紙作りの支援グループの働きかけでランプシェードや内装資材としての需要も高まりつつある。伝統を絶やさないため、地域ぐるみで柳生和紙は守られ、つながっていく。