番外編:岩手小久慈焼とは
久慈の人々のために作られた
実直で美しい日用雑器
小久慈焼の窯は、岩手県の北東部、久慈市にある。代表作は、細長い口を持つシンプルな片口。その素朴さと美しさは、民藝運動を起こした柳宗悦にも高く評価された。
小久慈焼が生まれたのは文化10(1813)年。初代・熊谷甚右衛門が、福島県相馬の陶工・嘉蔵を招いて技術を学び、海岸沿いで豊富に採れる粘土を用いて、庶民のための日用雑器を焼いたのが始まりとされる。寒さが厳しい久慈は冬になると粘土が凍ってしまうため、陶器作りに適した土地とは言い難い。数々の苦労を重ねながらも、粘り強く研鑽を積み、のちに八戸藩に器を納めるまでになった。
けれどもその後、生活様式の変化や第二次世界大戦の影響で、小久慈焼は急速に衰退してしまう。一度は後継者が途切れそうにもなったが、市の支援のもと技術を学んだ下嶽毅(たけし)さんと、6代目の熊谷龍太郎が小久慈焼を再興。その後、毅さんが7代目として技を伝え、現在は毅さんの息子の智美(さとみ)さんが8代目を受け継いでいる。
200年以上の歴史を持つ小久慈焼きだが、昔も今も変わらず守り続けていることがいくつかある。ひとつは、久慈で採れる粘土を使い続けること。もうひとつは、久慈の人々が普段使いできる器を作り続けることだ。小久慈焼は久慈市民の生活に深く根付いてきた。贈答品や記念品として贈られることも多く、久慈の家庭の食器棚には、必ずと言っていいほど小久慈焼がある。このように、小久慈焼は久慈の人々に支えられながら、これからも受け継がれていくのだ。