堤人形とは

堤人形とは

焼物の町・堤町で生まれ浮世絵人形で全国に名を馳せた土人形

焼物の町・堤町で生まれ
浮世絵人形で全国に名を馳せた土人形

優雅にほほ笑むお雛さまに、勇ましく見得を切る歌舞伎役者。その美しい姿で見る者を魅了する堤人形は、仙台で育まれた土人形だ。堤人形が生まれたのは、堤焼と同じ堤町。堤焼の陶工たちが、土が凍って焼き物を作れない冬の間の産業として、人形作りを始めたと伝わっている。仙台藩四代藩主・伊達綱村(1659~1719年)の時代には、江戸の陶工・上村万右衛門が招かれ、堤人形をより洗練された形に改良。もっとも栄えた文化・文政年間(1804~1830年)には、京都の伏見人形とともに土人形の二大源流と称され、岩手の花巻人形や福島の三春人形にも影響を与えた。
堤人形の大きな特徴のひとつが「赤色」だ。江戸時代の職人たちは、鎖国下の日本では入手が難しかった輸入染料の「蘇芳(すおう)」を使い、人形を染め上げていた。現在は「蘇芳」を使わず、さらに色持ちのいい顔料を使用しているが、鮮やかな赤を印象的に使う技巧は今も継承されている。
堤人形の名を全国に知らしめたのが、江戸時代盛んに作られた浮世絵風の人形だ。浮世絵に描かれた歌舞伎や力士、遊女などの様子を表現した人形で、その姿はまるで生きているかのよう。ちょっとした手の角度や腰つき、眉の形やえくぼなどで、浮世絵の登場人物を見事に表現した。仙台藩出身で横綱になった「谷風」や、若々しく力強い歌舞伎役者を表した「滝登り」、美しい遊女をモチーフにした「猫引花魁」などの人形がそれにあたる。
江戸時代には浮世絵風の人形のほかにも、お稲荷さんや狛犬、お雛さまなど民間信仰にまつわる人形が数多く作られた。また、顔料を塗る前の素焼きの人形は、赤ん坊のおしゃぶりや子供のおもちゃとしても愛されていたようだ。京の御所人形のように値が張らず、しかも大量に生産できる堤の土人形は、いつでも庶民の暮らしの傍らにあったのだ。
ライフスタイルの変化に伴い、いつしか私たちの生活の中から堤人形は姿を消してしまった。けれども一方で、上品で愛らしく、そこにあるだけで場が和む堤人形は、今なお多くのファンを生んでいる。現在13代目が伝統を守り続ける芳賀つつみ人形製造所は、文化年間(1804~1818年)から続く人形師。芳賀つつみ人形製造所では、デパートなどへの卸を一切行わず、完全受注生産で生産しているが、今でも愛好家からの問い合わせが後を絶たないそうだ。愛でる形は変われども、堤人形は今なお人々の心を癒し続けている。

【取材協力】

芳賀つつみ人形製造所

住所:
宮城県仙台市青葉区堤町3-30-10
電話:
022-275-1133